当寺院は、浄土真宗本願寺派(西本願寺) 川越山 浄善寺です。(柿崎御坊・扇舎御坊・長井山)
新潟県上越市柿崎区にあります。
江戸・明治時代に度重なり発生した柿崎大火により、その都度類焼した為、現在はインドのパゴダ様式の鉄筋コンクリート造りです。
この様式の本堂としましては、日本で初期のものであり、大変貴重な本堂です。
門信徒および全国の御同行の皆様から御懇志をいただき、大正時代から昭和3年にかけて建築されました。
昭和初期には浄善寺保育園、第二次世界大戦中には東京からの集団疎開先としても利用された本堂です。
現在は、法事、葬儀、結婚式といった仏事や、仏教を学ぶ場として利用されております。
柿崎で親鸞聖人と出会われた夫婦を初代と伝えます。
法物や書状等は、慶長年間以降のものが、多数残されております。
書状等からは、江戸時代に「 柿崎御坊 」とよばれる、ご本山の出張所のような寺院として存在し、明治時代まで住職は「御留守居」役を務めたことが記されます。
境内に「親鸞聖人御旧跡」の地をあずかります。
ここは古来より「承元の法難」(西暦1207承元元年)で、京都より越後・国府(上越市国府)に御流罪となられた親鸞聖人が、旅路の途中に一夜の宿をとられ、お念仏のみ教えをお説きになられた地として伝わっております。
戦後までは庵が存在し、代々尼僧によってお守りされ、近年は親鸞聖人の御像が建立されるに至ります。
本願寺第二十代宗主廣如上人より「興法浄善閣」の扁額ならびに「親鸞聖人真向之御影」を賜りました。
仏法がさらに興隆する事への願いがこめられております。
御開山親鸞聖人をはじめ、本願寺歴代宗主の善知識様、多くの御同行の皆様の「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」との願いによって、現在に至っております。